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日本人にアジア各国に飛び出し言葉で直接文化交流してもらう

JCAT(ジャパンカルチャーアジアトレーディング)の代表茂木龍一郎です。

今僕は、シンガポールのすぐ隣街、マレーシアジョホールバルを拠点にしています(2013年時点)。

平日はジョホールバルで2人の娘たちにラッフルズアメリカンスクール(Raffles American School)というアメリカンスクールに通わせながら、週末はシンガポールへ。およそ月の半分をジョホールバルとシンガポールで過ごしています。

残りの月半分は中国本土、香港、マカオ、フィリピン、タイ・・・ビジネスと事業投資の活動をしながら、アジア各国を旅しています。

今でこそアジアを語れるようになった僕ですが、かつてはアジア各国に旅行でさえ行ったことはありませんでした。

アジアに飛び出すことで英語と中国語が使いこなせるようになった

日本しか知らなかった頃の僕。

日本で生まれ育ち、日本の常識が世の中全ての常識だと考え、英語や中国語の必要性も一切感じていませんでした。

全ての始まりは勤務していたメーカーの、辞令によって家族と共に香港に移住することになったのがキッカケだったのです。

香港を拠点に、中国本土、マカオ、台湾、タイ、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インドネシアに出張対応で出向きました。

短期間で、飛び交う様々な文化、言語に触れることになり、始めの内は混乱しましたが、これがアジアなのだと理解するまでに、それほど時間はいりませんでした。

茂木:「ナイス・ト・ミート・ユー。マイ・ネーム・イズ・モギ」

香港赴任後始めての社内会議で、カタカナで書いたアンチョコ片手に、震えながら自己紹介をしたことで・・・

一同:「なんでこんな喋れないやつが赴任したの?(英語)」

会議出席者全員を凍らせた経験のある程語学が駄目だった僕。

アジアに飛び出したことで、英語や中国語など言語の必要性。

これもよく理解でき、それまで中学、高校、大学と、一番苦手な教科だった、英語も、日本語発音そのまま押し切る形ではありますが、ビジネスのフィールドで、支障無く使いこなせるようになりました。

そればかりか、日本語以外の言語である英語を使いこなせるようになったことで、自信が付いた結果、僕にとって3つ目の言語にあたる中国語(普通語)までをも。

東急東横線武蔵小杉駅にある、法政大学附属第二高校通学時代、英語の成績で「1」を取ってしまい、落第スレスレでヒヤリした経験がある程の僕が、いつの間にか日本語、英語、中国語と3カ国語を使いこなせるようになってしまったのです。

これもアジアに飛び出したお陰だと思っています。

言葉が添えるとより深く文化交流ができる

英語にしろ、中国語にしろ、現地の方々が使っている言葉が使えるようになり、現地の方々と直接コミュニケーションが取れるようになることで、相手の国の文化をより深く理解することができるようになります。

その上で、僕たちが生まれ育った、日本独自の文化を相手に伝えられるようになります。

両方の文化を知ることで、お互いの文化の共通点を見出し、それを確認し合うことでより深く仲良く交流することができるようになります。

たとえば、中国本土で開催した宴。200名もの中国本土の方々に対して、日本人は僕1人だけという状態になりました。

最初、周りの中国現地の方々は、僕に対して話してよいのやらいけないのやら、扱い方に困っていて、かなり僕の席の周りは閑古鳥が鳴いてしまっていたのですが・・・。

酒豪で有名な、天津の流通業社の社長さんが僕のところにやって来て、50度を超える中国本土特有の白酒が入った盃を差し出して来ました。

中国本土では盃を差し出されたら、「乾杯!」と飲み干さなくてはならないのですが。その時、僕は相手の盃の下の部分に少し下げる形で、自分の盃を相手の盃に合わせようとしました。

すると、相手も僕に合わせる形で、さらに僕の盃の下に下げようとしてきました。僕はさらに相手の盃の下へ、相手はさらに僕の盃の下へ。。。これを繰り返して行くうちに、僕と相手の両方の盃が、床についてしまったのです。

その後でお互い笑いながら、盃に入っていた白酒を飲み干したところ。。。

天津の流通業者社長:「これは中国流の文化だ。日本人も中国人と同じことをするんだね!(中国語)」

茂木:「これは日本流の文化です。中国人も日本人と同じことをするんですね!(中国語)」

笑いながら言葉を交わしました。その滑稽な2人の様子を見ていた、周りの200名もの中国人の方々から、一斉に歓声と拍手が起こったのです。

そして僕の周りには沢山の中国本土の方々が来てくれて、酒を酌み交わしてくれるようになりました。

かつて・・・

営業上司:「茂木、お前は相変わらず分かっていないな!相手と乾杯する時は、目下の人が、相手の盃の下をめがけて乾杯するんだ!!」

茂木:「そんなルールがあったのですね!分かりました!」

僕が日本の本社勤務だった新人時代、アフター5の居酒屋で、当時の営業職の上司に、日本人としての社会人の常識を、徹底的に叩き込まれました。「日本人としての文化だ!」という形で教わりました。

ところが、実際に中国本土に入り、深く現地のビジネスマンたちと言葉を交えながら交流してみると、あの頃僕が上司から叩きこまれた「日本人としての文化」とも言える数々のビジネスマナーが、実は中国本土の方々もほぼ同じであることが分かり驚かされました。

そして、これらのビジネスマナーが、中国本土でのビジネスマナーだけでなく、アジア各国のビジネスマナーとして通じたりするのです。

相手の国の言葉と言っても、ベラベラと長い長文の言葉が必要なわけではありません。単語と単語の組み合わせによる、ひとことふたことの説明を添えるだけで良いのです。

けれども、そのひとこと、ふたことを添えること自体が、結果としてお互いの理解を深め、仲良くなるキッカケになるのです。

言葉を使ってコミュニケーションができるようになると、相手の文化を背景含めて理解できるようになります。文化を理解できると、お互いのことを好きになれます。言葉を通して文化交流ができるようになると、人と人の輪が広がって行くのです。

僕自身が味わうことができた、言葉を通した文化交流の楽しさ、素晴らしさを、独りでも多くの日本人に、同じように味わってもらいたいと思います。その結果、自分を理解してくれる人たちは、本当に沢山いる。と思えるようになり、結果としてそれが自信につながり、アジア各国で活躍する原動力になる。

「日本国内でこのまま悩み続けるよりも、外に出て新たな世界で挑戦したい!」

そんな新たな自分発見につながるのだと僕は思います。

「僕たちの貿易の活動を通して、もっと沢山の日本人に、アジアに実際に出て、アジアで現地の方々と言葉を交す機会を創出したい!」

そんな思いと共に、JAPAN CULTURE ASIA TRADING LIMITED(日本文化亜州有限公司)を香港で設立したのです。

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